【感想・要約】目の見えない人は世界をどう見ているのか|世界の見え方が、少しだけ変わる本

本書は、こんな人におすすめ
  • いつもと違った目線を取り入れたい
  • 多様な感性を身につけたい
  • 自分とは違う人を理解したい

ヨシタケシンスケさんの絵本

みえるとか みえないとか

は、本書から生まれたそうです。

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本書で学んだこと
  1. 視覚から得る情報は、私たちを自由にもするし、縛りもする。
  2. 障害のあるなし以前に、みんな人間。
  3. みんな、自分にあるもので、バランスをとって生きている。

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目次

はじめに

まずは、本書の基本情報を書いておきます。

本の情報

出版社:光文社
発売日 ‏ : ‎ 2015/4/20
ページ数:‎ 230ページ

✔著者:伊藤 亜紗
東京工業大学リベラルアーツセンター准教授。専門は美学、現代アート。もともと生物学者を目指していた。研究のかたわら、アート作品の制作にもたずさわる。

障害とは何か。どのように付き合うのか。

バリアフリーやユニバーサルデザインの概念が浸透した今日ですが、障害をもつ人と関わるときにはどこか緊張感を抱いてしまうのは、私だけではないと思います。

本書では、目の見えない人たちの世界のとらえ方に始まり、障害とは何か、障害のある無しを超え、人として理解し合い支え合うことの大切さが、書かれています。

以下では、私なりの学びをまとめます。

要約と感想:目の見えない人は世界をどう見ているのか

ここからは「目の見えない人は世界をどう見ているのか」の感想を書いていきます。

①視覚から得る情報は、私たちを自由にもするし、縛りもする。

目が見えることは、強みでもあり、弱みでもあります。

というのも、視覚は、私たちに有益な情報をくれる一方で、私たちの意思を無意識のうちに左右したり、さして重要でない情報まで私たちに届けたりするからです。

意図せず流れ込む、目からの情報

視覚に限らず、私たちは五感を通して受ける刺激に左右されます。

中でも視覚は、目が見える人にとって、情報源の7〜8割に該当するといいます。

なので、視覚があると、得る情報量は自然と増えます。

そのため、自分が目的としていないことにも反応してしまっているのだそうです

見えないことによって生まれる、「脳の余裕」

視覚的な注意をさらっていくめまぐるしい情報の洪水。確かに見える人の頭の中には、木下さんの言う「脳の中のスペース」がほとんどありません。

それに比べて見えない人は、こうした洪水とは無縁です。もちろん音や匂いも都市には氾濫していますが、それでも木下さんに言わせれば「脳の中に余裕がある」。

目の見えない人は世界をどう見ているのか

「見えない世界というのは情報量がすごく少ないんです。コンビニに入っても、見えたころはいろいろな美味しそうなものが目に止まったり、キャンペーンの情報が入ってきた。でも見えないと、欲しいものを最初に決めて、それが欲しいと店員さんに言って、買って帰るというふうになるわけですね。」

目の見えない人は世界をどう見ているのか

正直に言うと、私は目の見える人のほうが、目の見えない人よりも、豊かな人生を送ることができると思っていました。
もちろん、目が見えるからこその楽しみはたくさんあります。
けれどもそれと同じように、目が見えないからこそ味わえる、世界の醍醐味があるのだと知ることができました。

②障害のあるなし以前に、みんな人間。

善意がつくる壁

障害のある人と出会って、「何かしてあげなければ」と感じる人は多いでしょう。

私も自分を省みたとき、目の見えない人や車椅子に乗った人に出会うと、何か手伝ったほうが良いのでは、と、「与える側」になりたがっていた気がします。

からかったり、けしかけたり、ときには突き飛ばしたり、小学生の男子同士なら自然にやりあうようなことが、善意が壁になって成立しなくなってしまった。

「だんだん見えなくなってくると、みんながぼくのことを大事に扱うようになって、よそよそしい感じになって、とてもショックでした。」

目の見えない人は世界をどう見ているのか

健常者が、障害のある人と接するときに、何かしてあげなければいけない、とくにいろいろな情報を教えてあげなければいけない、と構えてしまうことです。そういう「福祉的な態度」にしばられてしまうのは、もしかするとふだん障害のある人と接する機会のない、すなわち福祉の現場から遠い人なのかもしれません。

目の見えない人は世界をどう見ているのか

普通の人間関係

情報ベースでつきあう限り、見えない人は見える人に対して、どうしたって劣位に立たされてしまいます。そこに生まれるのは、健常者が障害者に教え、助けるというサポートの図です。福祉的な態度とは、「サポートしなければいけない」という緊張感であり、それがまさに見える人と見えない人の関係を「しばる」のです。

もちろんサポートの関係は必要ですが、福祉的な態度だけでは、「与える側」と「受けとる側」という固定された上下関係から出ることができない。それではあまりにもったいないです。

お互いの失敗を笑い合うような普通の人間関係があっていいはずだし、そのためには、話そうと思えばお互いの体について、障害について、恋愛事情を打ち明け合うようなノリで話し合えるような関係があっていいはずです。

目の見えない人は世界をどう見ているのか

障害をもつ人と関わるときに、「何かしてあげなければ、と思うけど、どうしていいかわからない。。。」と感じることが多かった私は、福祉的態度にとらわれていたのだと思います。

まずは人として、普通の人間関係を築くところからはじめたいと思いました。

③みんな、自分にあるもので、バランスをとって生きている。

自分にあるものを活かす

障害に限らず、私たちは性格も能力もそれぞれです。

そんな中で著者は、見える人が目をつぶることと、そもそも見えないこととの違いを、以下のように例えています。

それはいわば、四本脚と三本脚の椅子の違いのようなものです。もともと脚が四本ある椅子から一本取ってしまったら、その椅子は傾いてしまいます。壊れた、不完全な椅子です。でも、そもそも三本の脚で立っている椅子もある。脚の配置を変えれば、三本でも立てるのです。

目の見えない人は世界をどう見ているのか

依存先を増やす

そして、障害をもつ人の、「脚の配置」として、一つの意見を挙げています。

脳性まひの小児科医である熊谷晋一郎さんは、障害者の自立について興味深い定義をしています。すなわち、「自立とは依存先を増やすことである」と。自立というと、依存を少なくしていきゼロにすることだと思いがちです。しかし、熊谷さんはそうではないといいます。周りの人から切り離されることではなく、さまざまな依存可能性をうまく使いこなすことこそが、障害者の自立である、と。

目の見えない人は世界をどう見ているのか

障害のある無しに関わらず、みんな、自分にあるものをうまく使い、足りないところは何かを頼って補い、自分なりのバランスで生きているのだと思います。

自分の欠点に目が行きがちな私ですが、それでも良くて、いろいろなところに頼りながら、私なりに生きていこうと思うことができました。

おわりに:他人を知ると、自分への理解も深まる

自分と違う人のことを知ってみると、自分が知らぬ間に持っていた固定概念や先入観に気づくことができました。

『目の見えない人は世界をどう見ているのか』は今ならオーディブルで無料で聞けます
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興味のある方は、ぜひ読んでみてください。

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